この文章は、2001年3月1日に岡山県が発表し広く県民に対して意見を求めた、「岡山県人権政策推進指針(仮称)案-『共生社会おかやま』の実現を目指して−岡山県」に対して、私が一県民の立場から意見を申し述べたものです。


岡山県総務部総務学事課人権班 御中

「岡山県人権政策推進指針(仮称)案-『共生社会おかやま』の実現を目指して−岡山県」
に対する意見書

はじめに

 岡山県におかれましては、岡山県人権政策審議会答申に基づき、21世紀における「「共生社会おかやま」の実現を目指して」、この度、「岡山県人権政策推進指針(仮称)案」(以下、本案と略記)をまとめられ、また、広く県民に対して意見募集を求められていることに対し、私は、そこに溢れる人権伸張の熱意と公平で民主的な態度に、こころより敬意を表します。
 さて、以下において、本案に対する一岡山県民としての私の意見を、述べさせていただきます。

一.品位あり、見識の高い指針案

 まず、本案を一読し、本案は、先の岡山県人権政策審議会答申の内容と比較すると、格段に文章表現や論述の構成が整備され、本県の指針としてふさわしい体裁を備えていると思います。また、内容においても、先の答申では、行政主体の側における人権意識高揚の問題、行政の公平性を維持するための行政自身における自己改革的視点が希薄でありましたが、本案においては、その点も補強されております。
 そのことは、本案において、「第4章 人権の視点にたった行政のあり方」が述べられ、「人権行政の担い手」の課題が明記され、また、第5章 人権施策の推進方向」においても、「公務員」「教職員及び社会教育関係職員」「警察職員」「医療・保険・福祉関係者」「消防職員」「メディア関係者」などの、「特定の職業に従事する者に対する啓発・教育」の必要性を明記されている点において、確認できると思います。昨今のニュースで報じられているように、国民のリーダーと目される公的立場にある人間の、人権意識・倫理意識の低下は憂慮すべきことであり、これらの問題に関して、本案が明確な指針を示されている点において、岡山県において本案作成を担当された方々の、人権問題に対する見識の高さが示されており、敬意を表したいと思います。

二.「人権」の捉え方に関連して

 本案において、「人権とは人間が共通して持つ「自己実現、自立、社会参加」の要求を権利として一体的にとらえたもの」と記され、先の答申案における人権の概念を採用されています。
 答申案における人権概念では、近代市民社会の形成過程で成立したところの、近代的な人権概念において中心に置かれるべき自由権の問題が、ほとんど論じられていませんでしたが、本案においては、人権の概念の表現は、先の答申の場合と同じではありながら、本案は、上記に指摘したように、行政主体の公平性や人権意識向上も明確に述べられており、その結果、本案の人権概念は、実質的には答申のそれよりも、遙かに広いものとなっています。
 しかし、本案の人権概念は、「「自己実現、自立、社会参加」の要求」という、倫理学的、あるいは社会学的用語だけで説明されている点で、やはり、人権概念としての脆弱さを否定できないでしょう。今日、私たち現代人が享受している日本国憲法や、世界人権宣言、国際人権規約等における「人権」は、世界の人々が、野蛮な圧迫・抑圧の政治に対して不屈の精神で戦い、多大の犠牲の上にやっと手に入れた自由権を基礎として、さらに社会権などの新しい人権論をも取り入れて発展してきたものです。日本国憲法の第一三条におい、基本的人権を「立法その他国政上で、最大の尊重を必要とする」と明記されているのも、このような、人々の人権確立を求める苦難の歴史が背景にあるからに他なりません。日本人は、戦後において、そのような背景のある人権概念を規定した新憲法を手に入れたのですが、その入手の経過からしても、また、最近強まりつつある憲法や人権軽視の風潮を見ても、今日に至っても、尚、人権や自由権の本来の意味が、私たち日本国民・岡山県民には、深く受容されているとは言い難い状況にあると、言わざるをえません。従って、私たちが、私たち自身の人権意識を高める際には、自由権を基礎とした権利論としての人権論を中心に据えて学ぶことが、とても大切な課題であり続けています。
 人権概念は、本来の権利論を基礎にして、その上に、倫理的あるいは社会的概念としての広がりを持たせ発展させるべきでしょう。そうでなければ、私たちの人権論は、ややもすれば倫理的・社会的概念としてのみ捉えられ、皮相な人権認識に陥る危険性があります。(その傾向は、先の答申案と答申においても見られることを、本案を起草された賢明なる方々は、既にお気づきのことと存じます。)岡山県におかれましては、この点を考慮され、岡山県における人権意識の高揚を期し、本案の一層の改善に努力されることを望みます。

三.同和問題の捉え方に関して

 本案は、人権概念の定義は示されていますが、同和問題の定義は明記されていません。分野別の人権施策を推進されるに際して、そもそも同和問題とは何かということについての明確な定義は不可欠でしょう。本案では、「高等学校への進学率や大学等高等教育修了者の割合にみられる教育上の問題、経営規模や不安定就労にもみられる産業・就労面での問題、結婚問題を中心に依然として根深く存在している差別意識などの課題」、「高額図書の購入強要をはじめとするえせ同和行為」、「インターネット上の差別書き込みや差別文書等のように、同和問題の解決を阻害する悪質な事象」が、指摘されています。しかし、同和問題を、このような具体例の提示だけで説明すると、かえって、現代の部落問題の実態を正確には捉えられなくなります。
 そうではなく、同和問題を、今日においても国民・県民としての融和を阻んでいる全てのことがらを内包したものとして、最広義の概念として捉えるならば、本案の例示からは漏れている重大な同和に関わる問題が、視野に入ってくることになり、また、同和問題以外の様々な人権問題との関係も、捉えやすくなると思います。
 本案も指摘しているように、本県における同和問題の解決は「全般的には着実に進展をみている」と思われます。しかし、今日なお同和問題が解決していない原因を、県民の差別意識、人権意識の低さだけに求めることはできません。行政も含めた私たち県民が一層の人権意識高揚に努めることは、もちろん大切ですが、そのような主体的な自己改善の課題は、同和地区住民も例外とすべきでないことは、本県が生んだ偉大な融和事業家である三好伊平次氏によって、戦前から指摘され続けている通りです。
 今日では、長年の同和対策事業の成果として、同和地区住民にも、就学や就職のチャンスは一般地区住民と均等に開かれています。それにも拘わらず、今なお一般地区住民との比較において較差が生じている原因を、「依然として根深く存在している差別意識」だけに見ることは間違っていると思います。
 チャンスは公平に与えられていても、依然として較差の原因を行政や一般地区住民の側だけに求め、自らの主体性・自立性の陶冶を十分に果たせていない、一部の同和地区住民の不合理な意識や行動も、同和問題の解決を阻害しています。岡山県は、本案作成において、これら一部の同和関係者による、国民として守るべき健全な道徳規範やマナーに反する言動や、行政依存的な体質も、同和問題解決の阻害要因として存在している事実を直視し、毅然たる態度を表明することが必要です。
 本県が、21世紀における人権伸張を期し、本指針案を提示されたことは、誠に意義深いものであります。しかし、岡山県が、行政主体として、今後なお一層人権意識を高め、県民に対して公平な見地から諸施策を推進されるに当たり、同和問題を狭く捉えられることは、既に本案自体が、「共生社会おかやま」の実現を目指し、県内の様々な人権問題を視野に入れようとされながら、実際には、一部の同和地区住民の言動にだけ気を遣い過ぎていることを、示しているように思われます。その結果、同和問題の現状把握も、同和地区内外の常識ある多数の県民の理解とは、かけ離れたものとなっています。また、就学、就職、結婚などの較差問題も、今日では同和地区住民の場合が最も深刻であるとは言えません。本案が、同和問題の現状に即した同和問題に対する概念を獲得されることで、同和問題の、さまざまな人権問題との共通性と特殊性を、より明確に捉えることができると思われます。

四.人権教育推進における留意点

 最後に、これからの人権教育推進における留意点を述べさせていただきます。
 従来の同和教育においても、公平性を保つべき教育行政が、特定の運動団体の介入を許し、その結果、学校経営そのものが危機に瀕したり、子どもたちに人権や自立を指導すべき教職員の自発的・自主的教育実践が極端に制限され、管理主義的傾向を生じてきたことは、周知の事実です。しかし、本案には、啓発・教育について、「押しつけにならないよう注意して進めます」とは記されていますが、これまでの本県における同和教育行政の非主体性や不公平に関する反省は、いまだ明記されるに至っていません。
 本案は、学校における啓発・教育の推進に関して、「開かれた学校運営の推進とともに、人権教育推進体制を確立し、児童生徒の発達に即しながら、各教科等の特質に応じ、学校の教育活動全体を通じて人権尊重の理念について理解を促し、一人ひとりを大切にする教育を計画的に推進」することを明記されていますが、岡山県が、従来の管理主義的傾向の著しい同和教育行政に対する真摯なる反省を行うのでなければ、新たなる人権教育も、上意下達的に推進され再び形骸化してゆく危険性があり、本県の目指す人権尊重の「共生社会おかやま」というビジョンも、21世紀において実現しないのではないでしょうか。
 

おわりに

 同和問題は、その発生と展開、概念規定等においてすら、これまでの研究において十分な解明が果たされているとは言えません。また、私たち日本人の人権認識には、欧米社会と比較すればまだまだ脆弱さがあり、これから21世紀の人権の捉え方に関しても、学術的に解明すべき研究課題は山積しています。
 本案の「第7章 指針の推進」によれば、「人権行政は長期的な視点で持続的に進める必要があり、継続的に施策の点検を進めながら、社会情勢の変化をふまえ5年を目安に必要に応じ見直しを行」うと、記されています。
 岡山県におかれましては、一県民である私の本案に対する意見書にも、お目を通して下さり、21世紀の私たち岡山県民が誇りうる指針となるよう、今後とも尚一層、内容充実に努力されますことを、こころより期待いたします。
 行政は行政としての本分を尽くし、同和地区内外の県民も県民としての本分を尽くし、ともに手を取り合って、私たち岡山県民の人権意識高揚に努め、21世紀において県民一人一人が、文化や経済のさらなる発展のための担い手となるよう、共に頑張りましょう。

2001.3.16

【氏名】明楽 誠(みょうらく・まこと)